日常×非日常
 心を鍛えたい人のための道場

指導者


合氣道は相手を倒すのが目的ではなく、
強弱、優劣、勝負を争うものでは
ありません。

本道場では、
技と人を通して、
自分のできないことを知り、
できることを知ること。
「感謝」の気持ちをはぐくみ、
相手を思いやれる気持ちを育てること。
そんな気持ちをモットーに稽古しています。

あなたが日常を
より大切に過ごすための、
非日常な空間を
石井道場では提供したいと考えています。

指導者は、中学、高校といじめにあってきました。
その後、太田合気修練道場で十年間稽古してきました。
弱さがないところには強さはありません。
心の弱さを知ったあなたは、
誰よりも強くなるチャンスがあります。

稽古は一人ではできません。
あなたのおかげで稽古ができます。
皆がいるから稽古ができるのです。
いつでも道場は、
あなたの訪問をお待ちしています。


稽古案内


日時 毎週土曜日 17時~19時 ※祝日休み
月謝 月5000円
見学 入門希望者のみ自由です。お気軽にお越しください
連絡先 メール:inquiry@ishii-aikidojyo.org
本道場は、以下に属します。
一般社団法人 岩間流合氣道会
(本部道場の道主 對比地 輝男 総師範)

本道場では岩間流の合氣道を学ぶことが出来ます。
免状が取得できます。

現在は入門希望者は、在宅ワーク(主婦含む)もしくはコロナワクチン接種済みの方に限定させていただいております。
コロナウィルスが落ち着きましたら、合気道を通して、社会への感謝を体現していきたいと考えておりますので、ご理解のほどよろしくお願いいたします。




岩間流と合気道の歴史


合気道と一口に言っても開祖の教えた時期や
弟子の独立した時期によって流派の考え方が違い、
また創始者の重視したものによっても
少しずつ内容が異なってきます。
本道場で教えるのは、開祖晩年までの教えに忠実な
『岩間流』『岩間スタイル』と呼ばれる合気道で
斉藤守弘先生が23年かけて開祖から直接受け継いだ
正統派の合気道です。


略歴と人物



  • 武田惣角
    武田惣角
    大東流合気柔術の創始者
  • 武田惣角 (たけだ そうかく 1859年 - 1943年)
    武田惣角
    大東流合気柔術の実質的な創始者とされている人物です。 大東流合気柔術は、徒手で敵を無力化する古流の体術で、 殿中を血で汚すことなく、敵を制御する武術として 研究大成されており、座技の多いのも特徴とされています。 大東流は「合気」という概念を初めて世の中に知らしめました。 惣角は幼少期から相撲や柔術、槍術、剣術を学び 小柄ながらも剣術、柔術ともかなりの達人であったらしく、 「会津の小天狗」と称される程の実力を持っていましたが、 学問には関心を示さず、いたずらが過ぎて寺子屋から追放された というエピソードもあります。 そんな惣角が大東流合気柔術の修行を始めたきっかけは 定かではありませんが、生涯自分の道場を持たず、 全国を行脚しながら様々な他流試合(いわゆるストリートファイト) を繰り返し大東流合気柔術の実戦性を証明しました。 そんな惣角の技に惹かれ入門したのが 植芝盛平(のちの合気道の創始者)です。
    ×
  • 植芝盛平
    植芝盛平
    合気道の開祖
  • 植芝盛平 (うえしば もりへい 1883年 - 1969年)
    植芝盛平
    身長156cmながら大相撲力士を投げ飛ばすなど幾つもの武勇伝が有り、 また老境に至っても多くの“神技”を示し「不世出の達人」と謳われた人物。 太平洋戦争(大東亜戦争)中は軍部に有用性を認められ、 陸軍憲兵学校・海軍大学校などで武術指導を行いました。

    植芝盛平は合気道界では「開祖」(かいそ)と敬称されています。 合気道は、大東流合気柔術をはじめ複数の古武術を修め それらの研究実践と、大本教に触れたことによる 日本の神代の研究・深い信仰心から、産み出された 武器術も含む総合武道です。

    晩年になるにつれ盛平は大東流が現代合気道の形成に 果たした役割について、あまり口にしなくなり、 大東流の後継者たちも、盛平の合気柔術歴や合気道の知名度を 認めはするものの、盛平を大東流技を営利的なものへ変更させた 謀反人としてみなす傾向があります。 しかし、盛平が大東流をはじめとする古武術を修め それらの研究実践の積み重ねにより独自の合気道へと昇華させた という意味では、大東流なくして合気道を語れない重要なポイント となっています。

    古典的な達人の教え方の人で、一度型を見せたら同じ型をせず、 弟子がやって見せても「結構や結構や」といい、 現代武道のような細かく手取り足取り教えたり、 細かな技術体系があるような教え方ではなかったようです。 メモをしても怒るため「なぜ教えてくれないのか」と弟子が問うと 「教えてしまうと、型にはまってしまいそれ以上伸びず、お前の為にならない」 とけむに巻いていた、とも。 この為、一握りの人間はかなり強くなれるが、 才能のない人間は全く伸びず辞めていったという記録もあります。
    ×
  • 斉藤守弘
    斉藤守弘
    開祖の高弟
    岩間流創始者
    開祖より免許皆伝を言い渡された唯一の人物
  • 斉藤守弘 (さいとう もりひろ 1928年 - 2002年)
    斉藤守弘
    盛平から直々の稽古を23年も受けることのできた唯一の人物です。 (他の高弟の中でも同じぐらい稽古を受けた人物は存在しない) 盛平から武器稽古を受けることのできた数少ない弟子の一人であり、 (開祖が本来人を殺傷しうる合気道の技が公になることを恐れ、 ほぼ毎日仕えていた弟子以外には当身を用いた技や 武器術をみだりに教えずまた岩間以外で他の師範が 武器技を行うことを厳しく戒めたとのこと。) また東京の合気会本部道場での剣・杖の教授を許された唯一の師範でした。 開祖の最期まで仕え、開祖亡き後は茨城道場の道場長として 「開祖直伝」の技を教授しました。

    後に、斉藤先生の教授する合気道の型は、 岩間スタイルと呼ばれるようになります。

    1980年代以降は、体の変更・諸手取り呼吸法といった 基本動作の解説をしてから体術の実演、 また剣や杖の合わせや武器技と体術との関連性を説明をしてから 組太刀・組杖・剣対杖の実演を行うといった、 いわゆる講習会形式の演武が多く取り入れました。 これには、戦後の合気道が同じ武道でありながら 師範によってまったく異なった形式で伝わり、 盛平直伝の「基本」が消えつつあったために、 その警鐘を鳴らすためであったのかもしれません。

    斉藤先生の演武では、指一本で弟子を投げる、もしくは 触れずに相手を転がすといった派手な演出は見当たりません。 基本に忠実な稽古や体術と武器術の併習によって正しい理合が身に付き、 盛平が理想とした「武産合気(状況に応じて無限に技を編み出せる状態)」 が可能になるとの信念のもとに、 開祖から学んだ稽古法を生涯変えませんでした。

    ×
  • 塩田剛三
    塩田剛三
    養神館合気道設立者
  • 塩田 剛三 (しおだ ごうぞう、1915年- 1994年)
    塩田剛三
    合気道の流派養神館合気道設立者。 塩田先生は合気道の理合について、師・植芝開祖が宗教用語や 古語を用いた難解・抽象的な説明を行っていたのに対して、 「中心力」「スピード・タイミング」といった 用語を使った平易な解説を心がけました。 また短期間で合気道の基本的な動きを身に付けられるよう、 6種の基本動作と構えを編纂・制定しました。

    演武会においても、投技や組技だけでなく、 相手の喉を指一本で突いて悶絶させたり、 後ろからタックルしてきた相手に肩をぶつけて吹き飛ばすといった、 多彩な当身技を披露しており、華やかさも特徴です。 格闘家との対局による武勇伝や 養神館を表敬訪問したロバート・ケネディ夫妻の前で 行った演武で同行していたボディーガードと手合せを行い、 これを圧倒してしまったという記録もあり 養神館合気道は現在も老若男女問わず人気のある流派です。

    ある時弟子に「合気道で一番強い技はなんですか?」と聞かれた塩田先生は、 「それは自分を殺しに来た相手と友達になることさ」 と答えたといいます。塩田先生は『日常、それ即ち武道』を 信条としておられましたが、生前弟子に対して 「人が人を倒すための武術が必要な時代は終わった。 これからは和合の道として、世の中の役に立てばよい」 と語り、護身術としての武道の意義を説きました。
    ×
  • 植芝吉祥丸
    植芝吉祥丸
    開祖の息子
    合気会二代目
  • 植芝吉祥丸 (うえしば きっしょうまる 1921年 - 1999年)
    植芝吉祥丸
    父は植芝盛平。合気会の二代目継承者。 昭和20年代の合気会は新規の入門者が中々集まらず、 塩田剛三の養神館道場に対して劣勢でした。 吉祥丸先生はこの状況を挽回するために、 合気会報(後の『合気道新聞』)を創刊し、 全国の弟子に道場の動向や盛平の思想を伝えたり、 百貨店の屋上等を利用し合気道初の一般公開演武会を開催、 初の一般向け技術書『合気道』を出版、 大学の部活動やカルチャーセンターを中心とする合気道の普及、 ハワイ・フランス・ビルマといった海外各地への指導者の派遣 など当時としては革新的な試みを行い、 合気道の全国的な普及に尽力した人物です。

    吉祥丸先生の合気道は、「和合」の理念を動きで現していると言われ、 ご本人は次のように説明なさっています。

    『合気道の演武の丸く、無理の無い動きが 社会的な営みの中に現れてくれば争いはなくなり、 それが大きく広がれば世界の平和という事につながる ということを開祖も期待していたのではないか。』

    『一つの丸い動きには始めも終わりもございません。 合気道の心身の鍛錬というのは、 動きの上でも丸く、そして心も丸くなっていく、 それが合気道の鍛錬に如実に出ているのではないかと思います。 しかし、ただ単に丸く動いているのでは、 どこに飛んで行ってしますのか分かりません。 ですから中心がピッと大地に根ざしているという、 絶対不動のものでなければならない。 それでないと完全な円は描けないというところに 合気道の本来の良さがあります。』
    ×

アクセス



南武線 武蔵新城駅 から徒歩1分
alwaysレンタルスペース

〒211-0044
神奈川県川崎市中原区新城5丁目2−21 メゾン・ド・レコルト 4F


場所が変わる時があります。
カレンダーを確認してください。


Q&A


胴着は必要ですか?
ジャージ等動きやすい格好でかまいません
  
見学はできますか?
ご自由にお越しください。(ただし入門希望者のみに限ります。)
休みの日もあるので、お越しの際はカレンダーをご確認ください。
  
何歳から始められますか?
現在は中学1年生からを対象としています。
ただし、ご希望であれば小学生対象の子供クラスを開設します。
ご年配の方はでんぐり返しが出来ることが条件になります。

link